”願いが的へ” 与一シリーズの由来

願いが的へ

古今東西、日本で、いや世界においても、弓の名手といえば、真っ先に名前があがるのは那須与一に間違いないと思います。 与一といえばご存じの通り弓の天才として知られています。かの平家物語屋島の合戦においては、平家が船上に掲げた扇の的を見事一発の弓矢にて射抜いたという逸話がよく知られています。源義経の家来であった与一は、実は義経から合戦参戦の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れます。そして京都の伏見で療養していた間、ずっと即成院の阿弥陀さまを信仰したことにより、その霊験で病も癒え、さらにその後の源平合戦において武功を上げることができました。これにより与一は誉れ高い武将として下野守に任命され丹波、信濃、若狭、武蔵、備中の五州を与えられました。 ところがその後、与一はきっぱりと武士を辞め京都に戻り、恩を受けた即成院の庵で源平の戦いで亡くなられた方々の菩提を弔うため、最終的に出家するという道を選びました。京都の人たちに慕われながら平穏な祈りの生活を送り、三十四歳で即成院の阿弥陀さまの前で僧侶として亡くなられ、境内には与一の遺徳を讃え、巨大な石塔のお墓が建てられました。 現在は与一じたいも神仏化された存在で、与一のように願いが的に一発で命中しますよう『願いが的へ』と訪れる方々が絶えません。また現在に至るまで、那須家ご当主(現在は那須家第37代目当主 那須正美様:下写真)は即成院にお参りされ、与一のお墓に今も献花をされています。 与一にとって所縁のあるここ京都にて、東山堂さまが平安弓具として高い品質の弓道具の販売を開始されるのは、私どもにとりましても、とても喜ばしい限りです。また、これを機会に東山堂さまが当初より奨めておられます『日本古来の武道の精神を世界に拡める』というご活動が、更に充実するよう期待します。この度は本当におめでとうございます。益々のご発展、ご繁栄を心よりお祈り申し上げます。

京都東山 現世極楽浄土

即成院

(表紙)題字と御祝文
那須与一公 御墓所 守本尊
阿弥陀如来・二十五菩薩像(平安時代作重要文化財)安置





平安弓具オリジナル 与一(よいち)シリーズ
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